今回初めて読む方のために少し説明。
 

2009年3月、働きながら9年の歳月をかけて玉川大学通信教育部を卒業。提出した卒業論文は、原稿用紙に換算して約108枚、先行事例研究の全く無い研究となった。 その教育大論文は、卒業後、都内の某大学で学会発表という形で講義する機会に恵まれたため、受講者にもわかりやすいように要約。その後さらに考察は進め、全国の子供たち、教育者、研究者のために微力でも役立てたいとの熱意でブログ公開。研究、ならびに加筆した次第である。連続15回シリーズで今回が9回目の投稿となる。

 


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 イギリスの哲学者ジョン・ロックは、夏冬を通じてあまり厚着をさせてはならない、足は普段から冷たくし、湿気にさらしておくことが大切だと、体育論の中で子供の健康について述べている。これは、現代日本の諸学校における薄着励行や半ズボン(体操服)の大切さに似通う指摘ではないか。ロックは、戸外の空気に親しむことも大切であると強調している。300年以上も前になる学者ながら、すでに、子どもの体が備えている防衛体力(免疫力)について考察していたのはさすがだ。                

 

 今日、乾布摩擦(かんぷまさつ)とか、「子どもは風の子」という言葉をあまり聞かなくなった。一年を通じて半そで半ズボンの子が学校で表彰されたり、薄着を励行する小学校もあまり見られないようである。それどころか、最近のシャツ出しが当たり前となった子どもの私服を目前にして、冬場はともあれ夏でも、子どもが長いハーフパンツや長ズボンを着用していても、親や教師は何も言わなくなった。これは、元来大人たちは子どもの半そで半ズボンの健康的な点や、その長所をほとんど知らなかったばかりでなく、もはや衣生活についての「しつけ」指導を行うことが出来なくなった現れと見ることが可能だ。

 

 私の知る限り、かつては関東地方の小学校において、真冬でも多数の小学生が半そで半ズボンで戸外を走り回っていたものである。中には、たとえ雪の日であろうが通年、はだしで遊んでいた男児さえ、昭和末期のクラスにも確実にいた。さながら、はだしのゲンに勝るとも劣らぬ、健康優良児がいたのも昭和時代である。

 

ここで、拙・色えんぴつ作品を用いて解説したい。


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この拙作品は、ちんちん電車の今昔というお題で、レイル・マガジン誌2011年3月号(通巻330号)のイラストステーションに掲載された。上のほうのコマで、立山連峰を背景にスポーツする子どもたちは、クラスにまだ数人ほど、体操服の短くて白いショートパンツの男の子もいた平成10年代末の時代。それに対し、原爆ドームの前を歩く少年たちは昭和のころ当たり前に見かけた短パン姿、かつ、一人は裸足として描いてある。忠実に再現した人物のファッション、時代による半ズボンの長さの違いまでご確認頂けることと思う。

 

 いま4~50歳代前後の男性ならば、シャツのすそはズボンに入れるよう親からも、教師からも言わただろう。昭和の終わりごろまでは、小学生以下の子ども、とくに男の子の衣生活における「しつけ」指導には、かなり徹底したものがあった。しかし、小学生男児のシャツ出しハーフパンツ姿が普及した今日ではどうか。厚着をする子も増え、子どもは風の子という言葉も死語になりつつある。加えて、丈の長めなハーフパンツ化により、以前は私服でも行いやすかった指導、シャツをズボンに入れさせる昔から続いてきた作法が、とくに小学生期の男子に対して実施しにくくなった点は深刻と見る。(つづく)

 

付記・・

モノクロ写真は、宮原洋一氏の「もうひとつの学校」(新評論186ページ)より引用。このころ、昭和40年代当時は、又下数センチの半ズボンは男の子の定番であったが、とくに川原などの広い場所で、はだしで駆け回る少年も珍しくはなかった。



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