小学校教員として働きながら、2009年3月、玉川大学通信教育部を卒業。提出した卒業論文は原稿用紙に換算して約108枚で、当時、先行事例研究の全く無い研究となった。 卒業後、都内の某大学で学会発表という形で講義する機会に恵まれたため、受講者にもわかりやすいように要約。その後さらに考察を進め、全国の子供達、教育者、研究者のために役立てたいと思い、連続15回シリーズで研究・加筆し、ブログ公開。
 
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小学校教師をしていた2006年からの約2年間にかけて、子供たちの衣食住の乱れ、規範意識に関するアンケート調査を実施。
 ひざよりも長い短パンをはいてシャツのスソを出すことを好み、自分専用の個室が有る子供の多くは食事のときの挨拶を省略していることがわかった。そして、その子の親もまた、シャツ出し等はどうでもいいと考えていることを確認。しつけを重視しない人が増えたことも、子どもの規範意識低下に拍車をかけているようである。

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つくば万博があり常磐線が面白かった、昭和60年頃の北松戸を描いたこの拙作品は、レイル・マガジン誌のイラストステーション(2011年初冬)に掲載された。

 当時、小学生は雪が降る季節でもズボンは夏場と同じく股下が短い半ズボン。元旦の江戸川河川敷に、凧揚げする半ズボン少年たちもいた。手袋もしているし、上は厚着だったが、スタジャンは一番上のボタンはしめている。学年に何人かいた松戸リトルリーグのジャンパーを着てくる子もいたが、第一ボタンからパチンとはめ込む子がほとんどだった。

スソの、第5・6ボタンは留めないパターンが男女とも多かった。一見、シャツ出しにも似ていたが、ぴちっとした半ズボンと、ハイソックス姿。さらに、第一ボタンは留めているから着衣に乱れたイメージは無いどころか清楚に感じたものである。



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おなじく2011年初冬にレイル・マガジン誌のイラストステーションに掲載された、昭和50年ごろの仙石線電車を描いた拙作品より。昭和50年前後がスタジャン登場のころとされる。
 

 今も中学生制服に多い学ラン(詰襟)もまた、スタジャンと同じく、第一ボタンから等間隔である。一番目が、はずしているとダランとして見える(だらしなく感じる)のも似ていた。中学生が第一ボタンをしめている姿は真面目そのものに見える。スタジャン少年(少女)も同様であった。
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 1980年代、半ズボン全盛期にわたり流行したスタジャン。一番目のボタンは必ず留める意識やスタイルが、中学校に進学してからも、制服の第一ボタンも留める等、子どもたちの規範意識向上に役立っていた可能性もある。

※2009年に論文提出のときの原文をもとに、今回の更新に当たり小生により修正・加筆した部分があります。

(つづく)

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